世界一周7日目〜 レバーと武器

この日のハイライト

遅れての更新

こんばんは、ユウキです。

人生、後悔することは色々ありますが、「やって後悔すること」より「やらないで後悔すること」の方が多いとよく耳にします。

 

現在は2018年3月7日のキプロス島、「もはや1ヶ月近く前のことなんてどうやって思い出すんだ…」と途方に暮れつつも、

大きな衝撃を覚えたことだけは覚えているのにそれがどういう形の衝撃だったのか思い出せない、そんな夜9時。

 

少しでも、メモ書きでも、あの時の新鮮な気持ちをブログに残しておくべきだった…と後悔するこの頃です。

そうだ、せっかくですから、僕が唯一残しておいたメモ書きを公表して、僕の絶望感を少しでも共有できたらと思います。

 

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レバー事件

 

IDFミュージアム

 

インタビュー(Mark)

 

アイス

—–

 

以上。笑

 

…そうですね、まず、レバー事件とは何かと言うと、買った冷凍肉のパッケージにステーキの絵が書いてあって、

ステーキと思ったら大量のレバーだったというお話です。

 

これも多分、面白おかしく書くつもりだったんでしょうが、それ以上の情報が何も出てこないので次にいきましょう。笑

 

 

IDFミュージアム

これこそが、その“衝撃”の正体です。

 

この日はかなり暑い日で、2月なのに初夏くらいの気温があり、サーフィンしてる人なんかもちらほらいました。

ビーチの近くに◯井アウトレットパーク的なイイ感じの雰囲気の場所を見つけ、「あれ、なんだろー」みたいなノリで行った場所の隣に佇んていた不穏な場所です。

(↑よーくみると既にちらっと見えてる戦車)

 

正式名称、Israel Defense Forces museum、つまり国防軍ミュージアムです。

 

イスラエルといえば軍事大国。

第一次大戦後に世界中に散り散りになっていたユダヤ人が集結し、1948年にイスラエル建国を宣言。

入植時、イスラエルの土地の人口比率は圧倒的にその当時その土地に住んでいたアラブ系民族(パレスチナ人)が多く、当然、紛争になりましたが、少数ながら世界中で鍛えられたイスラエル人は勝ちを重ね、現在のユダヤ人優位の社会が出来上がりました。

その後、重なる移民と安定した出生率から、現在はユダヤ系が約75%。

 

その戦いの最前線で活躍したIDFの武器(国防軍になる前のゲリラ軍時代のものも含む)のミュージアムです。

 

まず、セキュリティチェックが、見たことのない厳しさ。

場所が場所だけに、当たり前っちゃ当たり前ですが。

笑顔で人当たりのいいお兄さんが、態度とは裏腹にポケットというポケットは数センチだとしても全部裏返されてチェックされ、入念な金属探知機検査にかけられます。

 

セキュリティだけで10分近くかかり、入場すると、いきなりお出ましの、戦車。

もう動かないとはいえ、本物の戦車を初めて見ました。(ちなみに外からも丸見え)

 

そうそう、話はそれますが補足として。

イスラエルでは、当たり前のように街中でマシンガンを目にします(もちろん撃たれませんが)。

というの18歳から男女2-3年の兵役があり、兵役中は非番の日でも携帯するか、ロッカーに鍵をかけていれておかなきゃならないというルールがあるそうです。

それに加え、街中には日本では考えられないほどの人数の兵隊さん、警察官(マシンガン装備)がいます。

場所によってはリアルに、100mあるいたら一人くらいの間隔でいます。

なのでこの時点で、感覚が狂い始めていたのですが、その極め付けが戦車でした。

 

奥に入ると、時系列順に、つまりイスラエル建国以前、ユダヤ人がまだイギリス領パレスチナという名前のアラブ国にいるいちコミュニティに過ぎなかった時のゲリラ軍の様子がわかる展示物がありました。

イギリス軍の検問を避け、アラブ人と戦うためにどうやって武器を隠したか、またどんな国から輸入したかなど。

(個人的に、なぜかONE PIECEのアラバスタ編を思い出しました。)

 

その次にイスラエル建国後、反対したアラブ諸国と戦争しまくった時の武器や装備などの展示。

かなり多くの国が武器の輸入に関わったみたいで、Made in Japanのピストルも見つけました。

 

そして、戦車コーナー。

十数台はあるかと思える戦車さんたち。

近くに立つと、デカすぎて、前がまったく見えません。

1台の戦車で幅も長さも高さも乗用車2台分くらいあります。

たぶん体積に変換したら4-6台分くらい。

とにかくでかいです。

もう動かないとわかっていても、砲台がこっちに向いているのは落ち着きませんでした。

ところどころにエグい傷があり(鋼鉄が爆発の衝撃でひん曲がっていたり)、実戦で使われたんだとわかります。

 

こんなの出てきたら一瞬で死ぬな、と思いました。

ミリオタでもなければ、平和ボケしきっている平成生まれの僕にはそれ以上の発想は浮かびませんでした。

こんなの相手に、どう攻撃を回避するとか、どう破壊するとか考えて作戦を実行した部隊がいたということ自体、

まったく現実味がありませんが、たしかにいたのです。

 

そんな感じで、もうぐったりしてしまい、半分くらいみて早々に出てしまいました。

原爆博物館に行った後と同じような、けだるさを感じました。

一応、日本にいるときに「パレスチナの歴史」という結構ぶ厚めな本を読んで予習してから行ったので、

実物を見ても多少大丈夫だろうと思っていましたが、パンチ力が違いすぎて全く役に立ちませんでした。

 

ちなみに、一番良かったのは、他にも遺跡、要塞、城郭、そういったところを回った時に必ず探すお気に入りのものがあるのですが、ここでもそれを見つけることが出来たことでした。

 

それは、緑です。

 

もう少し詳しく言うと、もう使われなくなった戦いの跡地に生えた緑を見るのが好きなのです。

かの松尾芭蕉も詠ったように、夏草や兵どもが夢の跡というところでしょうか。

僕は、このような緑は、戦い疲れた人や土地のために神様が残した慰めだと思っています。

以前もマレーシアのペナン島に行って要塞を見た際に、砲台から1本、しっかりと芽が出ていて、その近くには鳥たちが停まって羽を休めているのが印象的でした。

人間が振りかざす”正義”と、その手段である”武器”がとても滑稽に見えたのを覚えています。

どんどん高性能化して威力も高まっていく、人間の作り出す兵器でも永遠に勝てない、何かが感じられます。

 

僕は色々見た結果、パレスチナ問題について、どちらの側につくこともありませんが、一つ言えるのは、いつの日か全ての武器の上に生い茂る緑があって、それを世界中の人が見ることです。

 

それはさぞ、絶景だと思います。

 

さて、まだインタビューのこととアイスのことについて書く必要がありますが、それはまた今度。

 

おやすみなさい。

 

 

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