ペトラを思い出して
こんにちは、ユウキです。
現在、世界一周24日目にして9日目の記事を書くというゴテゴテが続いて居ます。
更新が当日になるのはいつのことやら…
さて前回に引き続き、この日に起こったことに関して僕の残して居たメモを先に公開したいと思います。
ペトラの引くほど高い料金
アンマン移動 (中国人の彼、バスのなかでブルーハーツを聞かせる)
少年たちに囲まれる、ファッキューと言われる
コーダホテル到着
前回よりほんの少しだけ具体的、と言ったところでしょうか。
なんとか記憶の燃えかすを頼りに元来のものを再現したいと思います。
第一次ペトラショック
ペトラの引くほど高い料金
特に、”引くほど“と強調されているのがポイントです。
そもそもペトラとは…https://ja.wikipedia.org/wiki/ペトラ
これが相当巨大です。
まずは入り口でチケットを買います。
…えっ。
思わず、その値段に硬直してしまいました。
かつては1JD(約150円)だった入場料は段階的に高騰し、僕たちが訪れた時はなんと50JD(7500円)、
ディズニーランドと同じです。
なんなんだ、この高騰具合。ビット◯イン並みです。
さらに、これはヨルダン全域に言えることですが、現地人価格、というものがほとんどの施設にあり、
それが10分の1とかだったりします。
ペトラについて詳しい価格は忘れましたが、確か、現地人価格は1000円もしなかったと思います。
詐欺だ。と思いつつ、中へ。
比較的物価の安い国ヨルダンで二人で15000円のお買い物です。(現地相場でルイ◯ィトン級)
第一次ペトラショックです。
第二次ペトラショック
いざ入ると、次はその巨大さに第二次ペトラショックを受けます。
まず、入り口から一番奥まで行こうと思ったら、たどり着くのに徒歩のみで1.5h〜2hかかります。
もちろん、ノンストップで、です。
色々見ながら、写真撮りながら、だと大体片道4hコースだそうです。
さらに、一番奥は文字通り行き止まりなので同じコースを戻ってくるということになります。
つまり全部行ったら6h歩きっぱなし、という試練の道なのです。
しかも平地ではありません。
ハイキング級の道をです。
こんな感じの風景をひたすら歩き続けます。
入って、少し歩くとこんな感じで、すごそうなものがゴロゴロそこらへんにありますが、
観光客たちの目当てはこれじゃないらしく、誰も止まりません。
写真を撮ってるのも僕たちだけでした笑
さらに進むと、こんな感じで一気に下るところがあり、ここから先は谷底をひたすら進むことになります。
スターウォーズeps4でオビ=ワンが住んでいる谷とそっくりです。
この岩肌が感動的で、正直どっちが主役なのかわかりませんでした。
まわりに緑はほとんどなく、観光地でなかったらリアルに水がなくて死ぬレベルです。
さらに歩くと、唐突に何かの影が!
(本当にいきなりすぎてびびった)
見えていたのは、一番メインなところで、インディ・ジョーンズにも出てくる場所
これはエル・カズネ という名前の宝物殿で、google mapによると30分ちょっと、公式ガイドブックでも40分とかなんとか記載されてますが、嘘です笑
ここまで行くのに僕たちは1時間以上かかりました。
ものすごい足腰の強い、登山部級の人か、もしくは旅の道連れがいなくて黙々と進まない限りその速度は出ません。
僕たちは、そもそもペトラが最終目的地ではなく、首都アンマン付近で仕事(インタビュー)を控えて居たため、この日の午後には移動しなくてはなりませんでした。
加えて、前日に宿であった人たちの意見が、
「奥まで頑張って行ったけどすごく良かった!」という意見と、
「よっぽど好きじゃない限り、宝物殿見て引き返すくらいでちょうどいいと思う。」という真っ二つに割れていたので、
体力温存を狙う僕たちは迷わず宝物殿で帰還。笑
この時点では時間的にも体力的にも余裕はあったのですが、道の険しい感じから、これ以上の道を往復して後がもたないことを懸念しての決断でした。
第三次ペトラショック
ちなみに、ここで第三次ペトラショックを受けることになります。
それは、前日に宿に泊まって居た客からも忠告があったのですが、ここの勧誘が半端なくしつこい!
やれ、ラクダのらないか、とか馬のらないか、とか(20JD=3000円)、崖の上までガイドしてやる、とか、無料のトイレの前で「おれが掃除したトイレ入ったんだから、チップよこせ」とか、一度断ってもかなりしつこくきます。
それも笑顔じゃなく、真顔で。
こちらが笑顔で断っても、かなり険しい雰囲気を出されます。
「チケットに馬に乗れるのが含まれてるんだ」と嘘をつかれて、おりてからお金を請求された、
なんて悪質な話も聞いていたのですが、その通りでみんなその手法を使ってきます(もちろんチケットには含まれてない)。
巨大な峡谷とペトラ自体は、確かにそこにしかない特別なもので感動したのですが、感動してる傍からかなりしつこく来る彼らにはだいぶ疲れました。
そんなこんなで折り返し。
奥まで行かない代わりに色々楽しみを見つけようということで、色々撮りまくる!
日本だったら考えられないことですが、これほどの特別な地域なのに管理がずさんで、道を外れても何も言われないどころか、現地の人が積極的にそこにゴミを捨てまくってます。
色々ともったいない世界遺産でした。
(もちろん、日本人を基準に考えるのは他のどの国でも無理がありますが)
せっかくなので、こんなところでパシャリ(before & after)。
ちょうど、引き返すくらいの時間に団体さん達が入場してきて、
「え、もう帰るの?」みたいなことを言われまくりました。
文字通り、誰より早く入場して、誰より早くでた観光客。笑
ちなみに10組くらいのツアー客(20人ずつくらい)とすれ違いましたが、アメリカ人のツアー客はインディジョーンズをスマホで爆音でかけながら歩いて居たので一瞬でわかりました。
その後も、写真をFacebookに投稿した時、コメントの80%くらいが「インディジョーンズ!」みたいな感じで、
あやうく、この日を境にインディジョーンズを嫌いになりかけました。笑
さて、朝7時に入場して、出たのは10時頃だったので、例えるならディズニーランドを3時間で出てきたようなもんです。
もったいない!
第四次ペトラショック
しかしここで、第四次ペトラショックを受けることになります。
宿から乗合バスで降ってきた時は10分強だったはずの道が、果てしない登り道+迷路のようで結果、帰りはプラス1時間のウォーキング(全部登り。傾斜平均はたぶん35度くらい。)になりました。
よく、ここを車で行くよね、と感心するレベルの角度で、かなり黒い煙がもくもくあがってました。
ちなみに、ペトラの為だけにあるような村、Wadi Musaはモーセの峡谷という意味だそうで、旧約聖書時代にモーセがエジプトから民を先導してきてこの谷を歩いたんだとか。
そりゃ、民が反発するのもどこか理解できてしまうような急斜面。
たぶん、りんごを転がしてみたら数秒で時速100kmくらい出て粉々になるんじゃないでしょうか。
さらに、まだ午前なのに照りつける太陽、当然遮るものはなにもありません。
緑さえほとんどありません。
あるのは、観光客目当てのレストランだけです。
もちろん驚きの価格設定です。
アンマンへ!
そんなこんなで宿に戻り、大急ぎでシャワーを浴び、安心できる宿のランチを食べ、乗合バスに乗ってヨルダンの首都、アンマンへ。
バスの中で後ろの青年たちがアラビア語+つたない英語で話しかけてきて、
どうやら僕がイヤホンをつけていたので、日本の音楽を聴いてみたいからイヤホンを貸してくれ、
と言ってきたのが理解できました。
うーん、彼らに何を聴かせよう、と思い、
ブルーハーツのリンダリンダ(live版)を聴かせたところ、微妙な反応でした。笑
ロックじゃなくでラップはないのか、と聞いてきたので、
ラップは好きじゃない、と言うと、
じゃあラブソングを聴かせてくれ、と言われました。
ラブソングね…
迷った結果、奥田民生の「野ばら」を聴かせました。
今思うと、なんで?という選曲センスですが(日本人でも少ないだろうが、僕のipodに入ってた曲が少なかった)、
今度はそこそこ喜んでくれました。
本当は優しいヨルダン人
ペトラショックのせいで完全に心を閉ざしてしまっていたのですが、あとで分かったことで、
ヨルダン人は本来、めちゃくちゃフレンドリー。
道端を歩いているだけで、「おい、一緒に写真を撮っていいか」と聞かれます。
記念すべき最初の道端セルフィー。
当然、名前も何も知りませんが、とにかく日本人というだけでむちゃくちゃ歓迎され、写真を撮ろうと言われます。
冗談抜きで。
最初にそれが起こった時は状況が理解できず、
まず浮かんだのが、
「あれ、僕たち知り合いでしたっけ?」という気持ち。
そして次に浮かんだのが、
「あれ、僕って有名人でしたっけ?」という気持ち(もちろんそんなことはない)。
まだ数えてませんが、ヨルダンで名も知らぬ町人たちととったセルフィー(自撮り)は5日なのに数十枚ありそうです。
そうです。
ペトラを基準にしてはいけなかったのです!
これは子供達でも例外ではなく、ストリートフード屋でケバブを注文しただけでも5分後には子供達に囲まれます。
恐怖心とか、ないのか…
what’s your name?とか簡単な英語も聞いてきますが、ほとんどアラビア語、しかも質問攻め。
てんでわかりません。
しかし、「ワカラナイヨー」という顔をしてもジェスチャーをしても気にせずアラビア語での質問射撃を続けてきます。
関西のおばちゃん級のマシンガントーク。
そして結構な確率で、たぶん30%くらいで、最後に笑顔でファッキューと言われます。
…はい?
表情と言葉があまりにも合ってなさすぎて、一瞬、アラビア語でそういう音の、別の意味の言葉があるのかと疑いましたが、
現地のことに詳しい方に聞くと、「なんとなくかっこつけて言ってるだけで意味はわかってない」そうです。
おいおい、アメリカだったら撃たれてるぞ…
コーダホテル
そんなこんなで首都アンマンの宿、コーダホテルに到着。
こちらは、アルカイダの事件で殺害された香田さんが泊まっていたヨルダンのホテルで働いていて彼を見送った方が、
事件を忘れないように自分で新たにホテルを始めた際につけた名前なんだとか。
ちなみに正式名称はMansour hotel(マンスールホテル)。
日本人バックパッカーのちょっとした聖地的ポジションになっているそうで、
前日に情報を聞きつけ、僕たちは何も知らないままやってきて数日泊まりました。
現オーナーのアリさんはめちゃくちゃ優しくて、とても助けられました。
アンマン市街
アンマンはこれまた傾斜が半端ない街で、そこらへんに遺跡がある街でもあります。
これも国民性なのか、すごく頑張って丁寧に保存している気配はあまりなく、
遺跡の前の広場は市民の憩いの場。
思い思いにおしゃべりしたり、水タバコをすったりする人たちがいます。
そしてヨルダン人はサッカー大好き!
道端でボールを蹴っているのを見ていると、パスを出してきます。
特に勝負を挑まれたりはしないのですが、そうこうしてるうちにひとり、またひとりと人が集まってきて、全然知り合いでもない人たちがボールを通じて仲良くなり始めるのです。
僕も何度ボールコミュニケーションに参加したか。
ヨルダンのこういうとこ、すごく好きです。
日本で、「友達作るのってどうしたらいいんだろう」と悩んでいる人の気持ちを、
ヨルダン人がわかる日はこないかもしれません。
それくらいみんな自然に絡んできます。
そうこうしてるうちにこの日の夕食へ。
ヨルダンはベジタリアンの人にはたまらないところかもしれません。
写真のところは完全ベジフードで二人でお腹いっぱい食べて4JD(600円)くらい。
ひとり300円。
ベジフードと聞くと、なんとなくコクがないとか物足りないとかいうイメージがありますが、
この食事は激うま!
肉を使わずともコクを使う手法があるんだということに衝撃を受けました。
ヨルダンカット!
お腹を満たして、伸びた髪を散髪。
ケープが謎の日本語でした。
(もちろん現地の人は知らずに使ってたらしい)
日本はヨルダンに支援しているとかで、ほんとにどこに行っても歓迎されます。
基本的に写真を頼まれ(しかもなぜか照れながら)、時にはプレゼントをくれたり、値段をまけてくれたりします。
(前述した観光地と、後述するタクシーは別)
ペトラショックのおかげで、逆にヨルダンショックを受け、この日は床につくのでした。
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