こんにちは。
ユウキです。
今日は世界一周38日目、イタリアのボローニャから、インタビュー動画をPCに読み込む空き時間にこれを書いています。
さて、12日前のこと。
僕たちはトルコ以外のどこの国も承認していない、国でない国、北キプロス共和国へ行って来ました。
キプロス島は元々、どこかの国の一部というより、独立した島でした。
すぐ北にはトルコがあり、地中海の島ということもあり、ギリシャ系の民族も多く住んでいました。
その中でも特に民族紛争などはなく、言語の違いはあれど平和に暮らしていたそうです。
しかし、大人の事情で、その土地に目をつけた帝国諸国に狙われ、紛争を”起こさせられた”という、まるでワンピースのアラバスタ編を思い出すような国なのです。
そしてそんな過去を象徴するかのように、分断された首都、ニコシア。
分断される前にはどちらの側からも首都として共存していた名残がまだ見えます。
北と南に分かれた後も、お互い、ニコシアが首都、つまり、首都を真っ二つに南北に分断し、それをシェアしているという非常に稀なケースなのです。
ちなみにこの紛争、現在は”休戦状態”ということになり、決着はついていませんが、事実上の終戦に近い状態。
紛争地区なのに非常に安全で治安が良い、という、これまた不思議なところです。
そんなこともあってか、国境?は極ユル。
なんなら、昼飯食べるのは北の方が空いてるから、という理由で国境越えする人もいるくらい、まったく緊張感なくいけます。
一応、初回は手続きをしたり、僕たちはレンタカーだったのでその北側の保険を申し込んだりはあったのですが、それを含めても所要時間15分、2回目に至ってはパスポートを見せて終わりだったので、国境というより高速道路の料金所的な感覚です。
それでも、一応、北側の情報はほぼ無し(事前にネットで調べただけ)で向かったので、若干の緊張感もあったのですが、それも国境越えして20分ほどでなくなりました。
というのも、たまたま公園で地元のお祭り的な感じのものに遭遇し、小腹を満たして寄った雰囲気が、日本の「◯◯こども祭り」的雰囲気とまったく一緒だったからです。
子供の出し物?をビデオカメラで撮るトルコ系キプロス人の親御さんがたにほっこりしながら、さらに北上、港町ギルネに向かいます。
北の方が南に比べて経済格差がすごいよ、と聞いていたので、てっきりさびれた観光地か、下手したらスラム的なものもあるんじゃないかと思っていたのですが、ついたところは、ドがつく観光地。
元々ベネチア共和国だったこともあり、どこかイタリアを彷彿させる雰囲気です。
海辺のナイスなレストランで昼間っからワインやらビールやら飲みながら高いシーフードをつまんでいる白人観光客だらけです。
確かに、街以外のところはひたすら草原で、まだまだ発展の余地はありそうでしたが、経済的な意味でも、心の貧しさ的な意味(ものごいとかスリとかドラッグとか)でもまったくそういう雰囲気はありませんでした、例えて言うなら、貧乏というより、東北の田舎みたいな感じ。
逆に南は別荘やら豪邸やらが多く、お金持ちが多そうな雰囲気だったので、そこを加味すると経済格差はあるのかもしれません。
いずれにしても、百聞一見に如かずで、改めてイメージと実際の違いを感じました。
さて、この港町ギルネで、海沿いに立っているお城(要塞)を観光。
前にパフォスで見たお城よりだいぶ大きいです。
そして、高い!
海が綺麗!
当たり前ですが、パフォスと同じ島なので海もめちゃくちゃ綺麗です。
オフシーズンで泳げないのが悔やまれましたが、沖縄並みに綺麗でした。
イスラエルから45分、5000円で来れてこんなに雰囲気が変わるのなら、行きの飛行機で多くのイスラエル人が、着陸と同時に大歓声をあげていた理由もわかります。
(最初はかなりびびった)
そして、北側はトルコ系イスラムしか住んでいないので教会はない、と聞いていたのに、思いっきり、城から2分のところに教会がありました。
この辺も非常に興味深かったですが、残念ながら教会では誰も会えませんでした。
そして旅に出て、2度目の散髪、北キプロスカット!
国境を超えて北側に入ってすぐ、目の前の山に大文字焼きのように巨大に描かれた北キプロスの国旗(とトルコの国旗)は、南側に喧嘩を売っているようにしか見えませんでしたが、そもそも、大人の事情で戦争させられる羽目になり、やむなく始まったこと。
当の本人たちはもともと争いのない島で今までと同じように暮らしたかったところを、政治的な理由で、政治的に力のある人たちが、一般人を巻き込んでしまった戦いなのです。
それをこの国旗から感じ取れる人は少ないと思いますが、このブログを通じて、目に映っているもの(もしくはその直接的な解釈)が必ずしもいつも正しいわけじゃない、と感じてもらえたら嬉しいです。
日本も北朝鮮や中国についてよくないニュースばかり流れるせいで、近頃の子供達は「北朝鮮=こわい、わるい」みたいな連想をさせる言葉を発していますが、それはあくまで子供だから直感的に感じたままをしゃべっているということ。
もちろん、これも将来極めて危険なことになりうるのですが、僕が危惧しているのは、大人たちも子供達とおなじように、目に見えたまんまのことをよく調べもせず発言、拡散してしまうということです。
すべてのことを完全に中立的な立場で見ることは不可能かもしれませんが、それでも、今見ている自分の視点は正当なものなのか疑う心はいつも忘れずにいたいものです。
なぜか、この日の帰り道で聞いたブルーハーツの「大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない」という歌詞が頭の中に残ったのでした。
つづく