世界一周85日目〜炭鉱、あの地平線輝くのは

ロンダ炭鉱

こんにちは、ユウキです。

ひさしぶりにカフェでブログを書いてます。

こうしているとまるで自分が流行りのノマドワーカーってやつみたいです。

(多分、事実そう)

 

さて、今日は南ウェールズの炭鉱に行って来たというお話。

どうです、あの”地平線輝く”感、半端なくないですか。

 

 

車を走らせ、ここから大移動。

 

途中、コーヒー休憩を挟みながら移動。

今日は大移動なので、あれこれ見ないで一点集中。

というか、いつもブログ書きながら思うんですけど、僕たち、(そもそも)色々行き過ぎじゃない?笑 という。

そんなこんなで到着。

ロンダ・ヘリテージパーク

 

これまたイギリスあるあるの、入場料無料!

こういうのがあると、学ぶ意欲も増しますよね。

親もいろいろと子供を連れて行こうという気になるから、必然的に子供の経験値も増えるっていう。

日本も見習ってくれ!( その前に国家予算と国債の残高が違うけど)

 

中に入ると、2階におしゃれなスペースがあり、展示で炭鉱の歴史を学べます。

 

まずはヘルメット。

このロンダを含め全ての炭鉱がもう稼働していませんが、採掘時にはメタンガスがあって結構危なかったとか。必需品です。

 

続いてはランプ。

こちらも必需品。炭鉱初期は火がそのままむきだしのランプや粗悪な電気ランプが使われていて、爆発事故もたびたびあったのだとか。

命がけですね。

これをみると、”妙に石が騒ぎ出し”そうな気持ちになります。(どんな)

 

炭鉱の男たち。

見た目からしていかつい。笑

アメリカのゴールドラッシュと同様、出稼ぎの人たちがほとんど。

最初は500人くらいしかいなかったこの集落も、1850年に最初の炭鉱が開かれてから、炭鉱の男たちだけで4000人に膨れ上がりました。(厳密には1790年代に炭鉱があったがそこまで大きな規模にならなかった)

 

実際の様子。

タバコ、いいのかな笑

 

あのタイタニックにもここの石炭が使われていたそうです。

というか、実際ウェールズだけで世界の石炭産出量の1/3を占めていたのだとか。

(赤は大英帝国圏内)

 

これは蛇足ですが、日本はというと…

 

笑笑笑

まぁ、明治維新(戊辰戦争)が1868年ですから、炭鉱が開かれた1850年は絶賛幕末中(鎖国中)。

アメリカのユダヤ人ミュージアムでもそうでしたが、日本がいかに特異な歴史を歩み世界と切り離されていたかがよくわかります。

 

話を元に戻すと、ロンダは名実ともに世界最大の炭鉱だったわけですね。

 

そもそもロンダ、というのはこの地域の名前で、単一の炭鉱ではありませんでした。

いくつ炭鉱があったのかというと、こんなにあります。

(写真左の地図がロンダ全域で、黒い四角が炭鉱の数)

 

そして、この炭鉱を所有していたのが、先日の屋敷の持ち主のひとりが、そう、当時世界一の金持ちのビュートさん。

 

そしてウェールズ(イギリスの一部という扱い)は世界一の炭鉱として、事実上の世界一のお金持ちの国になっていくわけです。

ちなみにこの石炭を輸出するために、世界一のスピードと言われる速さで港町として発展したのが今の首都のカーディフ。

 

このころのイギリスは炭鉱でお金は設けるし、産業革命でインフラ(機関車、蒸気船)は整うし、オートメーション(機械化、工場化)で作業効率大幅アップするし、うはうはだったわけです。

しかし、産業革命によってすべてが良くなったわけではありません。

その辺はターナーの絵画やチャップリンのモダンタイムズを観ると強烈な風刺を感じます。

炭鉱の労働環境も決していいものではありませんでした。

ここら辺は去年、長崎の軍艦島で聞いた話と全く同じ。

一日中PCの前に座り、9 to 5 の定時だけでなく残業のしすぎで過労死、そんな今の日本人に対するメッセージかもしれませんね。

 

ビュートさんの他にもお金持ちになった炭鉱オーナーはたくさんいます。

先日、ブログには書きませんでしたがカーディフにあるウェールズ国立美術館で大量のコレクションを見てたのですが、その絵画、特に印象派の作品を好んで集めまくったのがデイビス家。

炭鉱オーナーです。

こういう人たちが積極的に絵画をコレクションし、保存状態のいい形で保管してくれたおかげで今ぼくたちは絵画を見て楽しむことが出来ます。

 

ここまで見て来て、イギリスを世界最強の国にした理由、産業革命。

それを支えた石炭の炭鉱、というようにつながって来たと思いますが、これをストップしたのが第一次大戦です。

 

もちろん、戦争になれば軍事特需ということで炭鉱も大忙し…と思いがちですが、屈強な炭鉱の男たちは最前線に駆り出されることになります。

炭鉱で鍛えたスキルでトンネル掘りとして活躍するわけです。

しかし、もちろん大くの人が戦死することになりました。

 

そしてこの戦争の”報酬”としてフランスとイタリアがドイツを割譲。

この2カ国がドイツの炭鉱を使うことによりウェールズは2つの大きな”お得意様”をなくすことになります。

当然、景気は最悪。

ストライキの連続。

ストが終わった1939年には人口が最盛期の1/3まで縮小してしまったそうです。

 

1945には労働局の改革で労働環境が一新され、労働環境が改善。

ポーランド中心に出稼ぎの人たちがまた増えることになりました。

このせいか、ウェールズにポーランド人が多いです。

 

ちなみに1945と言えば終戦。

日本人としては、荒廃した国土をこれからどうするかという敗戦国が見る景色のイメージが強いですが、イギリスは勝戦国。

しかも今も激戦地の中東をロシア、フランスと分け合ったサイクスピコ条約によって、国外の問題も抱えることになります。

お金は(そこそこ)あるけど色々大変という状態になりすぎて、かつてのローマ帝国やオスマントルコのように解体の歴史をたどっていくわけです。

(そして世界はアメリカへ…)

 

この炭鉱も1980年代には続々と炭鉱が閉鎖されていきます。

 

1994、最後の炭鉱夫たちの写真。

 

それから20年。

ロンダ谷の街も次なるステージとしてこの街を本格的な風力発電の街にするために奮闘しているそうです。

 

また、この炭鉱跡も今は市民の憩いの場として、無料開放され、様々なワークショップやミニコンサートが行われたりしているそうです。

まさに兵どもが夢の跡。

僕たちが見たときは、ただ静かにそれは佇んでいました。

やけに晴れた空が印象的でした。

 

つづく

 

 

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