この日のハイライト
ビートルズの歴史
こんにちは、ユウキです。
久しぶりのブログ更新です(熱出して寝込んでましたm(_ _)m)。
これを書いているのが、7月9日。
書こうとしているのは6月16日のこと。
…。
場所はオランダ。その前にドイツも行った。
書こうとしているのはイギリスのこと。
…。
覚えてねぇえええ!!!
という葛藤は置いといて撮りためた写真を見ながら書くことにします。
たぶん、この日のことをその時のテンションで書いてたら膨大かつかなりマニアックな内容になっていたと思われるのである意味これでいいのかも…。
さて、この日はリバプールのビートルズストーリー(ビートルズの博物館)に行って来ました。
10年前にも来てかなり感動した記憶があるのですが、今の自分が見たら目線が違ってそれはそれで楽しいだろうなぁというのと、妻は来たことがないということもあり10年ぶりの再入場。
この日のために北ウェールズ編では車のBGMをビートルズにしてしっかり予習させてきました。
(丁寧に、ファーストアルバムから順に聴いて+僕の解説付き)
実際、妻はどう感じたんでしょうね…
それは後ほどコメントを書いてもらおうと思います。
さて、前置きとして(すでに長いけど)、知らない人は少ないと思いますがビートルズというのは主に1960代に活躍したロックバンドで、ここリバプール出身なのです。
実際、僕もそうだったんですが、TVとかCMとかで知らず知らずに聴いてた曲が実はビートルズ(もしくはカバー)だったということが多々あります。
な◯でも鑑定団の曲、という認識が強いのは日本人の悲しい性質。
それではさっそく見てみましょう!
ビートルズ夜明け前
まず、入場してすぐにある展示は”ビートルズ夜明け前”の展示。
若かりしメンバーたちが遠い国アメリカで大ブームになっていたロックンロールなるものに夢中になる頃から始まります。
時代にして1950年代中盤の頃。
特に一番影響を与えたのはこの人。
そう、通称キングことエルヴィスさん。
ジョンさんも”エルビス無くしてビートルズなし”と発言してます。
ちなみにビートルズが大ブレイクした後に感動的な対面を実現するわけですがそれは後ほど。
そしてもう一人はこの人。
チャックベリーさん。
日本だとなぜかアメリカ人も驚くほど意味不明な人気を持っている映画バック・トゥ・ザ・フューチャーで主人公マーティンが弾くあの曲のイメージが強いでしょうか。
ジョンさんも”もしロックンロールに別の名前をつけるならそれはチャックベリーだ”という名言(迷言?)を残してます。
ちなみに余談ですが、僕はどちらかというとポールさんのファンで、ジョンさんの曲は(特に後期)あまり好きじゃないのでついつい皮肉的な口調になってしまいがち。
ビートルズファン=ジョンレノン神格化という傾向も多々見られますが(個人的見解)、まわりのファンが”やっぱすごいなジョンは”という時に、僕的には”そう?”と思うことが多々あります。
すごいというか迷走してるようにしか見えないんですよね…
もちろん全部が全部嫌いなわけじゃなくて、好きな曲もあるしかっこいいなと思う発言もあるけど、すごいとはあまり思わない笑
スキッフル
さてそれはさておき、次にある展示はスキッフルのコーナー。
スキッフルってなんぞや?という方も多いと思いますが、
スキッフル(Skiffle)は、ジャズ、ブルース、フォーク、ルーツ・ミュージック、カントリー・ミュージックなどの影響を受けた音楽で、手作りの楽器や、即席の楽器を使うことが多い。スキッフルは、20世紀前半のアメリカ合衆国で生まれた音楽ジャンルであるが、1950年代にはロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)を中心にイギリスでブームとなり、後にジャズ、ポップ、ブルース、フォーク、ロックなどの分野で活躍するミュージシャンたちが音楽活動を始める大きなきっかけを作った。
…というwikipediaの解説をみてもいまいちよくわかりません。
ので、簡単にいうと、そこら辺にある楽器とか叩けるもの(洗濯板とか)で適当にバンドしようぜ!的なムーブメントのことです。
実際、スキッフルというと多くの人が洗濯板をイメージします。
今や見かけないですよね、洗濯板…
現代版スキッフルはドラムの代わりにドラム式全自動洗濯機を叩きまくるのでしょうか…もったいないよね。
このスキッフルのおかげで、今までは敷居の高い(お金が必要)バンドを組むという行為が、比較的若い層でも気軽にできるようになります。
スキッフルでロッケンローの真似してモテようぜ!的なところから始まったのがビートルズの前身バンドでもある、クオリーメン。
このメンバーにジョンレノンがいました。
時を同じくして、同じ学校に通うバスの中で少年ポールとジョージが友達になります。
そして運命の日、教会の庭のコンサートで歌っているジョンをポールが目撃。
Come go with me という曲をデタラメの歌詞で歌ってたけどそれはそれでかっこよくてとても印象的だったそうな。
そして後日再会した際に、今度はポールがTwenty flight rockという曲を披露して、”歌詞を知っていた”ポールに今度はジョンが感心している様子だったとか。
“こいつをいれたら俺の影が薄くなるんじゃないか”と危機感さえ感じたジョンでしたが結局ポールをスカウトすることになり、ここに世界最強のソングライターチームの原型が始まったのです。
ちなみに、その後、”ギターが弾けるから”というのと”練習できるガレージが家にあるから”という理由でジョージさんをスカウト。
いますよね、そういう子…僕も小学生の時、”あいつんちは64のコントローラ4つもってるから”という理由で(友情が理由ではなく)、そいつの家に入り浸ってました。
よかったねジョージさん、ギターが弾けて…
これでビートルズのメンバー集合!
あれ?リンゴ・スターは?って思った方。
なんと、彼は初期メンバーではなく、プロデューサーの意向で加入した、いわばサポートメンバー的な加入だったので、感動的な加入エピソードはありません。笑
というか、むしろそれまで最終的に残っていた初期メンバーのドラム担当、ピート・ベストさんは下手くそという理由で、(一説にはイケメンすぎてイメージに合わなかったからという説も)無残に辞めさせられてしまいます。(次の写真で見れますよ)
まぁ、そもそもスキッフルという、近所の演奏したい人全員集合!的なグループから始まってるので、本当はもっとメンバーがいたんですけどね。
下積み時代のあれこれ
その後は、カスバとかハンブルグとかキャバーンとか、ビートルズが拠点にしていたところにまつわる展示。
もう、この辺からビートルズファン(元々興味ある人)とそうでない人との興味の差が顕著に出てきそうなので写真だけ。
個人的に話したい人はメッセージするか、帰国イベントに来てください。
ビートルズだったら3日くらいノンストップで話せるんで。笑
まずはカスバ!
先ほど登場した、かわいそうな元ドラマー、ピートさん
ビートルズの初レコード(ビートルズ名義ではなく、バックバンドとして演奏した)で有名なトニーさん
ビートルズが修行のために住み込みで4回も行ったドイツのハンブルグ。
ちなみに、この後我々もハンブルグに行きましたが知人と会う時間でほとんど終わってしまったため、関連の場所は見られませんでした。
というか、そもそも”世界一罪深い通り”というあだ名もあるくらい、東京で行ったら歌舞伎町と道玄坂を足したようなところらしいので行くのも憚れる…。
地元リバプールのバンドブームの火付け役として活躍した”マージービート”のオフィス
(マニアック!!)
ビートルズ始めさまざまな地元バンドが楽器を買ったヘッセー
ちなみに数ある楽器店でなぜここだけ異常に人気が高かったのかというと、ひとつは”ツケ”で買えたこと、もうひとつは買った直後に店員がコードを2,3教えてくれてすぐに友達に自慢できたから、という理由。
分割払いだけどすぐインスタ映えしたい!という感じなのでしょうか。今も全く変わりません。
キャバーンクラブの当時の入り口
(内装は前の記事で書いたと思う…たぶん)
ビートルズのマネージャー、ブライアンエプスタインのオフィス、NEMS
個人的にはビートルズの運命を一番変えた一人だと思って彼の仕事ぶりには尊敬してます!!
ジョージマーティンと並んで、ポールの次にファンです!
ちなみに、その時のことを題材にしたと思われる映画、トムハンクス初監督作品That thing you do! (邦題:すべてをあなたに)で近い雰囲気を感じられます。
トムさんがマネージャー役!
このブライアンさんのマネージメント力が半端なくて、ビートルズはどんどん人気になって行きます!
たとえば、それまでは革ジャンにリーゼント、というスタイルが一般的(エルビス風)だったのを、例のマッシュルームカットに変えて、スーツを来させて、お辞儀させるように教育し直して売り出したのも彼。
人気絶頂時にアメリカ公演の手配をただしただけでなく、低ギャラでいいから3週連続出る、という広告戦略を打ったのも彼(結果的にビートルズはアメリカで大ヒット→世界的大ヒットの大きな一歩)。
彼が生きてるうちはアイドルバンドとして、のちにちょっと実験的な音楽集団として大成功を収めるのですが、ロック界の中で歴史的なアルバム、サージェントペパーズが1967年6月に発売されて2ヶ月後にアスピリンの多量摂取で他界してしまいます。
その後、親同然、命の恩人同然のブライアンさんを失ったビートルズはかなり不安定になり、なんとかその心の穴を埋めようとします。
とりあえず今まで撮った曲を中心に初の自主制作映画”マジカルミステリーツアー”を同年に発売しますが、初のセルフプロデュース作品は酷評されてしまいます。
(曲はいいんだけど、ちょっとサイケすぎて時代がついてこれなかったのかな)
ちなみに、この”マジカルミステリーツアー”は今でも映像作品として見ることができますが、なんというか、漂いまくる下北沢感、という感じ。
完全に薬で幻覚見ちゃってる感じです。
(曲はいいんだけどね)
そんなこんなで他にも色々重なり、なんとか立て直そうと、今度はインドに籠って瞑想にふけるわけです。
(メンバー全員+妻もしくはガールフレンド同伴で)
その時にできた曲を集めたのが、いわゆるホワイトアルバム。
この辺からいろいろおかしくなり出し、解散に向けて不穏な空気が流れ出します。
あと、トリビアですが、その時にビートルズがお世話になった先生的な人がノラ・ジョーンズのお父さんでインドで最も有名なシタール奏者と言われるラヴィ・シャンカールさん。
特にジョージさんは激ハマりしてしまい、現代ではある意味普遍的になってしまった”欧米人がアジアに行ってアジア感にハマる(現地人以上に)”を地でいった草分け的な人でもあります。
これ以降、”Oh、アジア、ソー・クール!”みたいな欧米人が激増します。
日本にもいますよね、意味不明にブッダのTシャツとか着てたりする外人とか…(違うか)。
あとは、ヨガとか。
結構宗教的なものなのに、〇〇体操的な軽いノリで日本でも流行ってるのを見ていつも違和感を感じます。
その宗教の人でもないのに、ハマっちゃうっていうね…
結構、話が脱線した割には全然レポートの半分も終わらなかったので、暇を見つけて後半戦も書きたいと思います!
そっちでは肝心の、ミュージシャンとしてのビートルズや作品について語れたらなと思います!
つづく
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