産業革命による世界初シリーズ
こんにちは。トモミです。
前日に引き続きこの日もリバプールミュージアムにやって来ました。
何でまた来たの!?と思われそうですが、
実は前回は特設展しか見れず、常設展を見に改めて訪問。入場料無料だからこそできること…
さて、この常設展の目玉はこちら!
初期に作られたものの中で貴重な現存する機関車!
しかも1838年から20年間リバプールとマンチェスターを繋ぎ一度引退したものの1927年に修理を決定して再度稼働することに。
1989年にこの博物館に収められるまでは世界で一番古い現役の機関車だったそうです。
木の温もりや艶やかな金色の車体がとてもおしゃれ。
きっと現役当時は煤で真っ黒だったと思いますが、当初の美しい姿を間近で見ることが出来ます。
稼働した当初は乗客が座る席が無いのではないかと心配になるほど大人気だったのだとか。
この車体と当時の人にとっての画期的な技術を見た人々が胸高鳴らせた気持ちが何だかわかる気がします。
そして、リバプールには世界一となるものが。
高架式電車!
雨が多いイギリスでは港の近くに走っていたこの高架式電車の下が雨宿りに最適で
上から見える景色を楽しんでいたのだとか。
高架の線路もセットで丸ごと展示されています。
ダイナミック!
機関車も高架式電車も今の私たちにとっては空飛ぶ車が飛び始めたら同じような感動を覚えるのかもしれませんね。
当時の技術もさることながら、当時の人々の感動を伝えているミュージアムの展示がとても印象に残りました。
当たり前に使っているものも、導入された当初は誰もが感動したはず。
感謝の気持ちも込めて、今当たり前に使えているものを”再発見”したいな…と感じたのでした。
人々の夢と戦い〜マージーサイド海事博物館
リバプールミュージアムを堪能した後はすぐ側にあるマージーサイド海事博物館へ。
港町リバプールならではの港に関する歴史が学べるということで興味津々。
そしてこちらも入場無料。素晴らしい。
しかし最上階に入って早速ビックリ!
おお…物々しい…
この写真で察することができるかと思うのですが…
戦争関連の展示がかなり充実しています。
イギリスにとって船といえば第一次世界大戦&第二次世界大戦に参戦する上で大きなキーワード。
ルシタニア号事件とアセニア号事件。
この後ドイツに行く身にとっては色々複雑な気持ちになる展示が続くのですが、
民間人を傷つけて、相手を煽るというのは現代で言うところのテロや中東で起きていることと重なるところがあって
昔も今も変わらない根本的な闇を見た気がしました。
武装していようがしていなかろうが殺し合いがあるのはとても悲しいことだし、
そこに救いが無いことが何よりも悲しい。
博物館の展示って、同じ事柄でも見せ方によっって受け取り方や印象が違うものだけれど
悲惨であったこと、残酷であったことをメインで出されてしまうと希望を見出したり、今に生かすエネルギーまで持って行かれて
何だか複雑な気分になるのでした。
戦争のきっかけとなる船の出発地だったリバプール。
商業的に10大主要港として輸出入の重要な拠点でした。
これまでの輸出入されてきたもののトップ5たち。
2000年代から輸出入ともに同様の製品が上位を占めているのが興味深いですね。
素材を輸入して製品化したものを輸出していた1800年代、1900年代から
輸出入共に製品化されたものが行き交う国へ。
特に1900年代の石炭は世界を圧巻したウェールズの石炭が含まれているかと思うのですが、
それを上回る綿製品の輸出量が気になる所。
今では綿製品はトルコ、ブルガリア、中国、カンボジア、ベトナム製。
1900年代までのイギリスの港はその時代で一つの時代を作るようなものが行き交っていたのかもしれないですね。
イギリスの発展に欠かせない船による貿易。
その重要拠点であったリバプールですが、第二次世界大戦中に軍事的拠点としても利用されることに。
元々ロンドンなどのブリテン島南部の港が拠点だったそうですが、
機雷(海底に沈めた船が近づくと爆破するもの)が大量に撒かれ、出港しても船が沈むという事態だったため
西側の港に移って行ったそうです。
しかも、丁度作戦本部を作れるシェルター式の建物もありすんなり軍事拠点へ。
船舶技術で世界のトップになりたかったイギリス。
その技術で争っていた相手と本格的に戦争で戦う事になり
その技術を磨き続けていた港が戦争の拠点となり
その技術があるからこそすぐに戦艦の修理ができたけれども
最終的に全面的な爆撃によって街が壊滅的な状態に。
戦争の影響もあり、リバプールの建物はほとんど再現されたものか
戦後建てたものを大幅に壊して現代的なガラス張りの建物。
現在のリバプールの街を歩いただけでは全く戦争のことはわかりませんが
歴史を学んでから見てみると当時追いかけていた夢の形跡はほとんど残っておらず
戦後を乗り越え(結構ガラが悪かったそうです)、
戦後のノスタルジーを漂わせながら新たに生まれ変わったのだという事がわかりました。
タイタニック号に賭けた想いと悲しき結末
マージーサイド海事博物館。
第一次&第二次世界大戦ネタでもかなりヘビー級ですが、
みなさんご存知、あの映画にもなったタイタニック号の特別展示も行っています。
タイタニック号といえばあの映画のストーリーのイメージが強いのですが、タイタニック号ができた経緯から知る事ができます。
タイタニック号を設計&運行したのがホワイト・スター・ライン社。
当時はキュナード・ライン社との激しいライバル同士の戦いが繰り広げられます。
ライバル社が豪華客船で人気を集め、経営不振だったホワイト・スター・ライン社は
負けじと大赤字になりながらタイタニック号を建設する事に。
こちらが縮小版の模型。縮小版でも巨大!
数字で見ると、尚更にその金額と大きさがすごい事がわかります。
長さ269メートル…つまり六本木ヒルズの展望台までの高さと同じくらい。
長い!
そして有名な話ですが、
タイタニック号は3,547人も収容できたのに、20隻しかライフボートが無く
約半分の乗客は乗れない計算。
見た目の格好良さを気にした説もありますが、予算も足りなかったそうです…
乗客も巻き込んだ会社命がけの航行だったのがここでもわかります。
さて、こちらがご存知タイタニック号の航路。
ビル一つが動くような巨大客船がこの長い距離移動するだなんて…
そしてどちらの大陸からもかなり遠い位置で氷山に激突。
13組ものハネムーンカップルが乗っていたタイタニック号…
あ、エジプトのミイラは載っていなかったそうですよ(笑)
ハネムーンで利用するほど、信頼されていたタイタニック号。
“沈まない船”として売り出していたようですが、本来の設計では一箇所に穴が開いても
防水隔壁が船底部分の空間に細かく縦に入っていて、浸水が一部で食い止められたハズだったのだとか。
赤字経営のホワイト・スター・ライン社。
何と、出港前に燃料の石炭が自然発火して火事になっていたにもかかわらず
運行停止せず、事実をひた隠しにして運行したのだとか。
特にタイタニック号は船体が大きいため、石炭の量も莫大。ヤバイですよね…。
運行した理由は、莫大なお金をかけて建設したのに出航できないとなるとただの大赤字だったという理由…。
そして、積んでいた石炭も予算を切り詰めるためにギリギリの量しか積んでおらず
氷山を注意する警告を事前に受け取っていたにも関わらず迂回する燃料の余裕が無く直進&
出港前にすでに燃え始めていた石炭を燃料釜に入れ続けなければならず
スピードダウンができなかったのだとか。
トドメに、予算を切り詰めるために船底の金属板が安価で脆いものを使っていたこともあり
燃料火事で痛みが進んでいた船底。
予算切り詰めの影響で色々と無理をした結果、
沈まないとされていたタイタニック号は防水隔壁が簡単に破壊され
2時間40分で沈没。
会社の命運を賭けて運行したタイタニック号。
しかし、会社の運命やプライドを優先した結果、失われた多くの命。
タイタニック号の事件は世界大戦前になりますが、このようなモチベーションや切迫感が参戦する着火剤になってしまったのかもしれないですね。
つづく。
そんな、色々振り返りができた日曜日なのでした。
つづく。
★ブログランキングに参加しています★
ここまで読んでいただきありがとうございます(^^)
最後にぜひ、以下のいずれかのボタンをポチッと押してください!ご協力お願いします✨