世界一周177,178日目〜首都サラエボ、そしてジェノサイドの歴史

こんにちはユウキです!

 

今日からとうとう15カ国目ボスニア・ヘルツェゴビナ編が始まります!

 

サラエボ到着!

スプリトから高速バスに乗り、6時間、遅延もあってサラエボに着くまで結局7時間、久々の大移動に身体がバキバキになりました。

もう当分、長距離移動は嫌だ…

 

着いたのが結局21時過ぎ。

途中、山道を随分登って来たので、まだまだ夏のクロアチアと違い、肌寒いです。

気温はおそらくプリトヴィツェと同じ20度前後くらいでしょうか。

 

夜は治安が良いとは言えないと聞いていたので、この日はチェックイン後、持参したパスタを食べて終了。

それにしても、久々のまるまる一件貸切で2000円/日なんて、物価の感覚がおかしくなりそうです。

 

一難去ってまた一難…

さて、今日こそ街を歩くぞ!

と勢いよく目覚めた朝、何か異変が…

 

“首が痛ぇ?”と桜木花道の山王戦後半ばりに自分に問いかけた次の瞬間、動くたびに激痛がしてきました。

 

久々に寝違えてしまったようです。

寝違えるなんて何年ぶりだろうという感じ。

後でわかったことですが、疲労が溜まっている中で変な体勢で寝ることによって筋肉が捻挫に近い状態になることみたいです。

 

そんなことは知らずに、妻と二人で“気温下がったから冷えちゃったんじゃない?”と話し、シャワーで幹部中心に温めて、風呂上がりにマッサージしたのですが、痛みは増す一方。

 

おかしいな、と思い、後で調べてみたところ、寝違えた時にやってしまいがちで実は逆効果なことTOP3の中に“熱いシャワーを長時間浴びる”“患部を直接マッサージ”がなんとランクインしていました。笑

それもそのはず、捻挫というと足首とかが多いですが、捻挫した足首にシャワーをあてたりグリグリマッサージしたりなんてしたらもっと腫れますよね。

 

寝違えを捻挫の一種とは知らずにそれを思いっきりやってしまったわけです。

ということでこの痛みは数日間、引くことになります…

おしりの痛みがやっと治って来たのに…とほほ

 

ちなみに正しくは、捻挫と同じく冷湿布で冷やして固定(なるべく動かさない)だそうです。

 

街歩き

さて、気を取り直して街歩きスタートです。

“ヨーロッパで最も貧困な国”とも言われているボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、略してボスニア)ですが、サラエボの市内は結構栄えてます。

 

こんな感じのモールがあったり、かなり現代的。

 

このモールでまずはSIMカードをゲットします。

僕たちが使ったのはM:telというブランドで、なんと7日間で4KM(260円)

 

日本と比べたら、一桁間違えてない?と聞きたくなる値段。

東南アジアでのSIMカードを越えて、旅史上最安を更新しました。

 

さらに併設のスーパーではりんごがこの価格。

1kgで1.25KM(80円くらい)

 

日本だと、よくリンゴ1個100円とか120円なんてところもみかけますが、ボスニア人が見かけたら信じられず思わず”orz”の姿勢になってしまうでしょうね。

(僕も日本に帰るのが怖いです)

 

ちなみに治安でいろいろ言われるボスニアですが、昼間で公の場所であれば治安はすこぶるいいみたいです。

やばいのは、夜道に人気がいないところと、混雑している電車の中でのスリなど。

でもそれはぶっちゃけどこの国でも同じ。

モールの前では少年たちがサッカーしてました。

道ゆく人の間をすり抜けて(むしろ活用して)ドリブルしてましたが、街の人も怒っている様子もなく平和に見守っている感じでした。

 

旧市街の奥地へと進みます。

首都だけあって、普通にシティ。

 

ボスニアの歴史ウォーク

 

途中、いたるところにこんなものが道端にあり、なんだろうと思っていたのですが、

 

実はサラエボ中に無数にあるこれ、悲惨な過去の証なのです。

 

1990年代前半、スロベニアとクロアチアがユーゴスラビアからの独立を宣言するとボスニアも独立を宣言。

それまではセルビア系・クロアチア系・スラブ系イスラム教徒が入り混じって成り立っていたボスニアでしたが、ユーゴ各地で民族主義政党が主権を握ってしまったため、ボスニア内でも民族対立が起こり、ボスニア国内でセルビア系民族によるスルプスカ共和国が独立を宣言(ボスニアからの分離を主張)し、ボスニアに武力行使に出ます。

 

この”サラエボのバラ“というのは、セルビア人スナイパーにより街中で撃たれて死んだ人たちの血が地面から消ず、そこに重ねてこのモニュメントを作ったそうです。

 

これが街中の至る所にあるということが、戦いの規模を物語っています。

そしてモニュメントだけでなく、生々しい銃痕もたくさん見かけます。

 

そんな戦士たちの弔いのためにあるこのモニュメントがこの”永遠の炎“。

 

さらに奥へと進みます。

街の中心にあるカトリック教会、イエスの聖心大聖堂

 

それの目の前にあるこちらのミュージアム。

独立戦争の時に前述したスルプスカ共和国軍がスレブレニツァとジェパの2地域を包囲し、国連軍が安全地帯宣言をしたにも関わらずボスニア人を8000人以上虐殺したときのことについての展示です。

 

館内が撮影禁止ということで写真はないのですが、当時(1995)の映像や写真がたくさん残されています。

世界大戦と違ってかなり最近の話なので映像も鮮明。

かなり重い展示でしたが、ボスニアの歴史を知る上でとても参考になりました。

 

文化の交差点

さらに歩くと、さっきまでは近代建築もしくはオーストリア=ハンガリー帝国時代、つまりヨーロッパの街並みだったのが、いきなりこんな景色に変わります。

 

これはオーストリア=ハンガリー帝国統治以前の、オスマン帝国時代の名残。

ハマム(トルコの風呂)の跡も。

 

今も交流が深いのか、トルコの旗もよく見かけます。

これはイスタンブールのサッカーチーム、ガラタサライのマーク。

 

メニュー表がサッカーボールでした。

最近では長友選手効果で日本でも有名になりましたね。

 

前回の旅でイスタンブールを訪れた際、もはや完全にアラブ国と化していた+極度の人口過密でかなり疲れてしまったのですが、今回のサラエボは妻曰く”昔のイスタンブールそのもの”だそうです。

 

僕もイスタンブールに行く前にイメージしていたような光景を、むしろここサラエボで多く見かけました。

 

“ヨーロッパ1エキゾチックな街”、”ヨーロッパ1の貧困国”、”ヨーロッパのエルサレム”と色々な呼び名があるそうです。

 

そして、驚いたのが、旧オスマンエリアの建物が日本の建築にそっくりということ!

 

どういう繋がりがあるのかは不明ですが、この写真だけ見たら日本の伝統的家屋そのものです。

 

そしてもうひとつ驚いたのが、こんなお土産がよく売っていること。

 

これ、本物の薬莢から作られているそうです。

店の人は、“材料(銃弾)はその辺の山に落ちてるから、拾ってくるんだ。”と言っていましたが、衝撃的すぎてなんと返答していいのかわかりませんでした。

 

どういう思いでこういうものを作っているのか…混乱です。

 

驚きの物価とショッピングの街

さて、物価については先ほども少し触れましたが、物価だけでなく品揃えもすごいです。

お隣のクロアチア人がボスニアに来て爆買いして帰って行くという話も納得できます。

 

イスタンブールの郊外によくある日にち限定マーケットと同じ雰囲気。

 

同じく、イスタンブールのスパイスマーケットの小さい版みたいなところ。

大きな違いはサイズもそうですが、人口がこっちの方が全然少ないこと。

 

食料も質のいいものがそろったマーケットが毎日開催されてます。

 

物価はどれもクロアチアの最安値マーケットと同じくらい。

ただし、値札がない商品は、外国人相手にぼったくってくることもしばしばなようなので注意です。

その点は東南アジアに似てますね!

 

そして、人口の40%がムスリム、35%が正教徒(キリスト教)、他にもたくさんの宗教を抱えているサラエボはまさにエルサレムのような感じ。

 

クロアチアに比べると圧倒的に内陸部のボスニアですが、その分、お肉の美味さが有名なんだとか。

ムスリムいるところに美味しい牛肉ありの法則はここでも適応されます。

(豚肉を食べないので必然的に他の肉での競争が激化するため質が向上する)

 

これはいわゆる牛の生ハムとジャーキーの中間みたいなもの、その名もビフテキ(ビフテク)。

 

ビフテキは日本ではもはや死語でしたが、ここボスニアではまったく別のものとして今なお輝き続けています。

 

いかがでしたか?

非常に興味深いサラエボの街、一度は訪れて見てください!

 

つづく

 

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