世界一周180日目〜サラエボ事件を追え!

聞き慣れた響き、サラエボ

こんにちはユウキです。

 

さて、相変わらず僕たちはサラエボにいるわけですが、

僕はこのサラエボという街の名前を子供の時からよく覚えていました。

 

今でこそ世界一周をしている僕ですが、

実際に世界に出てみるまでは一般的な日本人の若者と同等の、

おそらく乏しい知識しか持ち合わせていませんでした。

 

そんな僕でもこのサラエボ、

という響きに聞き覚えがあったのは

世界大戦が始まったサラエボ事件の場所だと学校で習ったからです。

 

それまでは少数の軍事同盟は常にあったものの

文字通り海を超えた規模となった戦争としては初めての

第一次世界大戦。

 

もちろん皆さんも知っての通り、日本ものちに参戦し

この傷跡は第二次大戦に引き継がれていくのですが

そもそもなんでオーストリアとセルビアの戦いに日本が登場するの?

子供ながらに思った記憶があります。

 

当時でさえよくわかりませんでしたが、簡潔にまとめるなら

外交関係の上で

国vs国ではなく

勢力vs勢力の争いに発展し

片方の軍事同盟に日本も参加していたから

ということになります。

 

しかし、それはあくまで表面的な話。

この戦争だけでなく、ほとんどの戦争に当てはまりますが

ことの本質は人間のエゴです。

 

争いに便乗して自国の利を得ようという欲張りで満ちている各国のエゴが表面化しただけの話。

 

つまり“相手を傷つけてでも自分がもっと良いものが欲しい!”という人間の本質があらわれたのだと思います。

 

そして破れた方は

“大事なものを失ったのだから相手を傷つけても取り返さなければならない!”と躍起になり、

勝った方はそこで得た”良いもの”では飽き足らず

またどこかの誰かの”良いもの”を欲しがり、

決して満足することはない…

これが2000年以上も繰り返されてきました。

 

1878-1918 サラエボ博物館

さて、そんな人類の歴史の中で比較的新しく、

かつ大きなインパクトを世界中に与えた第一次大戦が勃発した場所

ここサラエボ。

 

1878年のベルリン条約にてボスニア・ヘルツェゴビナ(以下、ボスニア)が

オスマン帝国からオーストリア=ハンガリー帝国に割譲された時から

オーストリア皇太子が射殺された時までの歴史を包括している博物館があります。

 

なんと、そのオーストリア皇太子が射殺されたまさにその目の前の建物の中に

 

博物館というよりは資料館という規模で、

教室一部屋分くらいの大きさに当時の生活を振り返るちょっとした展示があります。

 

しかしほとんどはタッチパネルの中の文献が一番の見どころになります。

 

場所が場所だけに結構お客さんが来るのですが、

タッチパネルが一個しかない割にはかなり膨大な量の記事が入っているので

必然的にゆっくり読むことはできません。笑

 

なので僕たちはその場では読まず、とりあえず急いで写真にだけ残した結果

タッチパネルだけで45枚もの写真を撮ることになりました。

(しかもたぶん、5秒に1回くらいのかなり急ぎのペースで。)

 

写真は全部英語だし、全部訳して載せるわけにもいかないし

この記事を書くにあたってどれだけ深く掘り下げるか迷ったのですが

結論としてはかなりサクッと書こうと思います。

 

理由としては、やはり前述した通り情報量が膨大なのと、

有名な事件なので興味を持てば自身で調べていただくことも可能だと思うからです。

 

大事なのはここから何が学べるか

だと思いますのでそこに焦点を絞って残りを書きたいと思います。

 

まずはおさらい

歴史好きの方は置いておいて、

学生時代、僕と同じようにあまり勉強熱心でなかった方の理解度は、

“サラエボ(どこ?と思った人も多いのでは)という場所でオーストリアの王子様が殺されて、第一次大戦に発展した”

というようなものだという推測の上で話をおさらいしていきましょう。

 

これがいわゆる、サラエボ事件です。

時は1914年、今からおよそ100年前です。

 

しかしこの事件は当然、突発的に発生したものではなく、非常に根が深いものです。

 

犯人のグループであるセルビア人集団がどのような思惑があり犯行に及んだのかと言えば、

一般的には1878年のオーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア併合を発端としています。

 

それまで、ボスニアはオスマン帝国領で、

セルビア系民族がたくさん住んでいた地域。

 

オスマン帝国は最盛期、今のトルコとは比べ物にならない広範囲に広がっていたため

統治方法も寛容にならざるを得なかったようです。

 

 

そんなわけで、一応、帝国領の一部とは言えそこで独自の文化形成がゆるされ、

そこそこの平和を保てている中、文化圏的にまったく違う人がやってきて

“今日からあなたたちはうちの領土です”と言われてもすんなり受け入れられませんよね。

 

それが決まったのが1878年のベルリン条約

いつも時代もそうですが、大人の事情で勝手に決められ

困るのは何にも意見が反映されない民衆。

 

ちなみに、この条約すらも

オスマン帝国vsオーストリア=ハンガリー帝国という単純な図式ではなく

その後ろにはブルガリア帝国とかロシアとかイギリスとか、他の大国も常に関わっているわけです。

 

一言で言うと、漁夫の利の取り合いをするために遠くからいろんな思惑が圧力をかけてる感じ。

 

この根をさらに掘り下げた時に、

特定的に〇〇年のことがきっかけで…というのは非常に難しいのです。

 

次はセルビアサイドから見ていきましょう。

 

現在のセルビアという国は

バルカン半島の中心に位置している北海道と同じくらいの面積の国ですが、

かつてはバルカン半島ほぼ全域にまたがった領土を持っていました。

 

(現在のセルビア)

 

(セルビア帝国時代 (14世紀、国土面積が最盛期の頃、黄色が該当) )

 

その時にバルカン半島のあちこちに同じルーツを持つ民族(南スラブ人)が分散してしまい、

その後も領土の拡大縮小、国の分裂、

あるいはオスマン帝国を代表する他勢力の支配下によって区わけされたことなどが理由で

バルカン半島自体が人種のるつぼになってしまいます。

 

当然、その中でスラブ人と他の民族(体系的に大きく言えば同じ民族もいれば違う民族もいる)が良い関係を持ったり、

ミックスした地域も多くあったのですが、

反対にスラブ系民族による統一国家を作ろう!というナショナリズム(民族主義)を掲げる勢力もいて、

長いことその機会を虎視眈々と狙っていたわけです。

 

もちろんですが、この民族運動自体も本質的には

前述した人間のエゴだと思っています。

 

特定の何かが欲しいという人がいて、そのためには民衆を扇動するという方法論があって、

どうやって?という理由づけに

たまたま”民族”という大義名分を用いただけのこと。

 

そういう誰かの思惑に発端する小さな種が

やがて狂信者を生み

一人歩きを始める…怖いですね。

 

ちなみに民族主義という考え方は後に

1990年代のユーゴスラビア解体に伴う紛争にも繋がっていきます。

 

ここで忘れずに明記しておきたいのが

僕はセルビア人は悪者だ!と言いたいわけではないということ。

 

というのは、物事にはかならず2つ以上の側面があり

全体像を見てから判断しないと読み違えてしまうことが多々あるからです。

 

東欧のバルカン半島でセルビア系主体のスラブ民族統一運動(汎スラブ主義とも)が活発になる一方、

西欧ではゲルマン系民族によるドイツ統一運動というものがあったり、

特定の小さな地域の中だけの問題ではなく、

さらに大きな地域の中での勢力図を見なければなりません。

 

常に領土が変わり、同じ土地に様々な人が移り住んできた歴史を持つヨーロッパにとっては、

常に超巨大戦国時代だったと言えるでしょう。

 

この辺の感覚は日本人には理解が難しく感じるかもしれません。

 

歴史上、日本では軍事同盟から大きな勢力争いに発展したのは

徳川陣営と豊臣陣営の構図が近いかもしれませんが、

それも大きく言えば単一民族内でのこと。

 

もし、徳川陣営にロシアが介入して、豊臣陣営にアメリカが介入して…みたいな図式になっていたら(あり得ないけど)、

このバルカン半島や西欧の感覚に近いかもしれませんね。

 

北海道と沖縄はともかく、

いわゆる今現在の”日本”という地域が多民族や国家によって占領されたことは経験がないのが日本です。

(第二次大戦後のGHQに関しても民族的にアメリカ人国家になったわけではないことも明記しておきます。文化的、政治的にはかなり影響を受けましたが…)

 

そんなわけで、まとまりませんでしたが、

いろんな思惑があっての1914年6月28日(サラエボ事件の日)だったのです。

 

ちなみにこの日は皇太子夫婦の結婚記念日でもあり、ゾフィーさんは妊娠中だったそうです。

 

いろんなものが積み重なっている状態で、

この小さなピストルから発射された銃弾は皇太子夫妻の体を貫通しただけでなく、

その弾は遠く日本を含む世界中に広がっていきました。

 

あの日撃たれたのは、皇太子夫妻でもなく、

当時を生きていた世界中の人の、後に戦争で命を落とした人たち一人一人だったのかもしれません。

 

ブルーハーツの曲の、出来れば僕の憂鬱を撃ち倒してくれればよかったのに、という歌詞が頭の中でリピートしていました。

 

つづく

 

 

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