世界一周185日目〜ドゥブロヴニク:観光地から逃げる人たち

こんにちはユウキです!

 

今日はいよいよ昼のドゥブロブニク観光。

昨日は夜の街しか見れませんでしたが、どんな感じなのでしょうか?

早速、街に繰り出してみます!

 

ドゥブロヴニクに泊まろう!

とその前に…

ドゥブロブニクはどんな感じのところかというと、物価としては日本で言えば六本木、海外で言えばベネチアくらいです。(つまり、高い!)

 

しかし僕たちはそんなところに泊まれるはずもなく、バスで20分くらいの場所に泊まっています。

 

見てわかる通り、周りを険しい山に囲まれています。

ちなみにこの山がお隣さんとの国境線。

 

そこからバスに乗るのですが、なんとも懐かしい、レトロな感じのバスに箱詰めにされた観光客と一緒に山道を20分。

 

そんな手間かけるなら旧市街の近くに泊まればいいのに…と思うかもしれませんが、それは前述した通り物価という見えない国境線が、リッチなマダムたちと僕たちの間に敷かれているのです…

僕たちが泊まっているところと旧市街は3~4倍宿泊費が変わる計算になります。

 

昼の旧市街

さて、到着した景色はこんな感じ。

 

再三述べているように、僕たち二人は人の多いところはそれがどんな観光地であろうとすぐ嫌いになってしまう傾向があります。

メイン通りの人混みを見て、今回もその気配を感じたので、嫌いになる前に小道に避難。

 

観光地から逃げる人たち。

 

旧市街はちょうどお椀のような形で端が坂になっているため、小道がとてもフォトジェニ。

 

そして僕はなぜかヤンキー座り。(文化系なのに)

 

戦争写真展

そして今日の一番の目当てはこちら。戦争写真展。

 

実は、僕がドゥブロブニクに行ってみたいとおもったきっかけは某ジブリの映画ではなく、10年近く前にたまたま見たTV番組でこのドゥブロブニクのことが特集されていたことから。

その時に見た内容で強烈に覚えているのが、”何百年にも渡って人が歩いたため床の石が全部ツルツルになってしまった”ということと、戦争で屋根が崩壊した家があって、その住人がその時に壊れて落ちた屋根の瓦を自分で拾って、またその瓦で修復していたこと。(そんなわけで屋根がないまま暮らしているとのことだった。確かアーティストか何かだった気が…。)

 

自分の故郷を愛する気持ちと、新しい瓦ではなくあえて落ちたその瓦を使うことで自分は負けないという姿勢を表しているような気がして、”かっこいい!!”と思ったのでした。

 

しかし、来るのが遅すぎたのか、ドゥブロブニクは戦争以前もそうだったように、観光地としての賑わいを取り戻し、どこもかしこも溢れ出る人の波、そして非常に商業的かつビックリする価格設定でもはや地元の人は行かないところになってしまっていました。

 

はっきり言って、街を歩くだけでは戦争の爪痕は微塵も感じません。

そんな中で、本当に戦いがあったのか、それを確かめたかったのです。

 

そして、発見しました。

 

本当にあったんですね。

いや、本当にあったことは文献でも聞いていたし事前に調べてもいたので知ってはいたのですが、やはり写真の力はすごいです。

 

そとの景色と比べたら、こんなことが現実に起こっていたなんて想像もできません。

全員逃げてしまったので、観光客もひとりもいません。

 

しかし、実はこの写真のインパクトもぶっ飛ぶくらい、他にショッキングな写真がたくさんありました。

というのもこの写真展、ユーゴ紛争時のドゥブロブニクだけでなく、ボスニアをはじめ他の地域の紛争やコソボ紛争も網羅しているのです。

 

特に印象に残った写真をいくつか。

 

まずは、先日も訪れたモスタル。

清水寺の前くらい活気のあった街が、文字通り戦場です。

 

こちらの女性は道を歩いていたところスナイパーに狙われ、一緒にいた少女は頭を撃ち抜かれ即死。

自分は防弾チョッキのおかげで、背中から撃たれた際に吹っ飛んで道の脇の排水溝に落ちたところを兵士に救出されたそうです。

一緒にいた少女が目の前で死んだ恐怖と悲しみ、自分が助かったという安堵感とが混じった、なんとも言えない表情だったそうです。

 

次はコソボ紛争。

 

そもそも、コソボはセルビア領でありながらアルバニア系住民の人口が多く、紛争時はセルビア軍の民族浄化のために住んでいる家を今すぐ捨てて逃げるか、その場で撃たれるか選ばされることになりました。

もちろん逃げるしかなく、近くの森で身を隠して生活することを余儀なくされたそうです。

 

もちろん、急な逃亡で物資もないので、ちょこちょこ村に戻って補給する毎日だったそうですが、ある日、この少年は自分の家が全焼していたらしいです。

一体どんな気持ちだったのでしょう…

 

さらに紛争が悪化すると、隣国のアルバニアやモンテネグロへ難民として逃げることになったコソボ人。

こんな豪雪地帯の中を家族と荷物を連れて、数日歩きっぱなしだったそうです。

 

こちらは難民への物資配給待ちの列。

 

とうとう、国連としてコソボとセルビアの国境線を安全地帯として国連が管理する際に来たドイツ軍。

“英雄”として迎え入れられたそうです。

 

しかし、戦争は終わっても終わりがありません。

当時イギリス・アメリカがNATOとして介入した際に用いた戦車で遊ぶ子供達の写真。

実は、この時に使用された砲弾の粉塵にはガンや白血病の発生率をあげる化学物質が含まれていたそうです。

 

様々な人々の思惑と苦しみは今でも尾を引いています。

一応の停戦を迎え、今は激しい銃撃戦こそありませんが、市民レベルでの苦い対峙を残すことになりました。

しかし、もちろんそんな状況だからこそ、互いに手を取り合って平和を作るための活動をしている人もたくさんいます。

 

傍観すらしていなかった僕に、この戦争についてどちらがどうとか、これからこうすべきとか、意見する資格はないと思いますが、この戦争以外にも世界各地で起きている様々な対立を乗り越えようとする人たちの活動に、今後期待しています。

 

つづく

 

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