こんにちはユウキです。
さてアンコールワットのレポート続編。
まずはじめは、アンコールトム。
アンコール王朝が最盛期を迎えたのが源頼朝の時代の少し前、というのは前回書いた。
そのアンコール王朝の首都であったのがこのアンコールトムである。
アンコールワット全体の発見は、19C中頃なので、1431年の陥落から、実に400年近く放置されていた計算になる。
( https://ja.wikipedia.org/wiki/クメール王朝)
そんなわけで、発見当時はそうとう修復が必要だったようだが、現在は各国が支援しており、日本もそのうちの一つ。
試しに、Googleで「アンコールワット 修復」調べてみると、多くの日本人が修復作業に携わっているのがわかる。
入り口はこんな感じ。
入り口を抜けると、まずはじめに目に飛び込んで来るのは、インディジョーンズに出てきそうなこの景色。
塔に顔が埋まっている…というか、塔自体が首に見えるような、独特のデザインである。
ちなみに、この「顔」だが東西南北4方向全てに掘られており、また、そのような塔がいくつも存在する。
この塔の本数は49本なのだが、「7 x 7」になっており、ヒンドゥー教の中では7は世界を表す数字なのだとか。
世界ができたのは「7日」というのはユダヤ教と同じ認識であり、現代社会も週7日で回っているが、世界を通してこのような共通点が見られるのは興味深い。
塔だけではなく、壁中に掘られた絵も興味深い。
ひとつひとつが歴史の記録になっているのだとか。
たしかに、識字率が現代ほど高くない当時でも絵を見ればその国の歴史がわかるというのは合理的な考え方である。
カトリックの教会でもキリストの生涯がたいてい10数枚の絵で描かれているが、それも基本的には同じ考え方である。
絵は言語を超えた言語なのだ。
これはおそらく戦争の歴史だろうと見てわかる。
顔立ち・体つきや習慣を象徴するもの(動物など)の違いでどこの国の人とわかるようになっているらしい。
例えば、この人たちは髪を結んでおり、ツボのようなものが象徴的に書かれている。
うろおぼえで申し訳ないが、絵から察するに貿易に来た中国人…だった気がする。
そしてこの髪を下ろしている人たちがクメール人…だった気がする。
言い訳をすると、周りがものすごい人で、同時多発的に大声でそれぞれの言語でガイドが行われていたため細部まで聞き取れなかったのである。
次は内部。
例の塔のかなり近くまで近づくことが可能だ。
近くで見るとかなり細かい装飾が施されており、これが1000年近く前に掘られたものとはとても思えない。
ここで一行は足をとめ、すでに30度をはるかに上回ったこの炎天下で、さぞありがたい話が聞けると思いきや、ガイドさんのフォトスポットコーナーである。
僕も強制的に数枚撮られた撮ってもらった一枚がこちら。
一歩間違えれば、どこの誰かもわからない石像とのキスシーンか、あるいは「あ?」と挑発してくる石像ヤンキーのようにも見える。
このあと、8人全員がこの構図に強制参加させられたのは言うまでもない。
そして遺跡の残りを回る。
その後はもちろん写真タイム。
この時点で購入した水の半分を飲みきるほどの炎天下。
これを毎日やるのと、仏僧の修行どっちが楽なのかは不明。
いかがだっただろうか?
アンコールトムは王朝の中心らしく、国に何があったのか伝える重要な役割を、今でも果たしていた。
今の自分や、自分の国に起こっていることは、果たして後世に正確に残せるのだろうか?
答えは、神のみぞ知る。
次回は「タ・プローム」という寺院のレポート!
つづく
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