世界一周245日目〜マレーシアの歴史①

こんにちはユウキです。

 

今日はKL(クアラルンプール)の街を散策。

 

思えば、いつも乗り継ぎで来たり、友人が連れ回してくれたKL。

自分たちでまともに歩いたことがない。

 

まずは宿から1分の食堂でエネルギーチャージ!

 

そぼろご飯に煮卵、角煮、煮豆腐がついて150円ほど。

 

めっちゃ美味い。

「日本の米が最高」とよく日本人が言っているが、日本の米が「あらゆる料理において至高」とは思わない。

 

香り高いバスマティ米とかジャスミン米も僕は好き。

(もちろん、中にはまずいコメもあるが…)

 

こちらは、「Pan Mee」という、ラーメンとうどんの中間のような一品。

魚の団子とクセのないスープが最高。

 

腹を満たしたら目的地へ向かう。

 

マレーシア国立博物館 (Muzium Negara)。

先史時代から独立後の歴史まで網羅している博物館だ。

 

入り口。

面白い建築様式。

 

1階2階、それぞれの左右で均等にセクションが分かれている。

 

見やすい。

 

世界中がこの博物館くらいシンプルにして欲しいものだ。

 

たまに、凝りすぎた博物館に行くと自分が今どこにいるかわからなくて不安になる。

 

展示の内容を簡単にいうと、

 

先史時代(石器時代とか縄文時代レベルの文明)

土着国家時代(初めての「国家」と呼べる文明以降)

植民地時代(ポルトガルをはじめオランダ、イギリス、日本と様々な国の支配下にあった時)

独立後(第二次大戦終戦後、独立していわゆる現在のマレーシアになるまで)

 

となる。

 

個人的に、先史時代はどこも似たり寄ったりだと思うので、飛ばし気味で見る。

 

、住んでいる動物の種類、土器のデザイン、気候的・地形的な違いなど、確かに微妙に違うのだが、専門家や考古学者でもない限り「既視感」を感じざるを得ない。

 

素人の目にもはっきり違いが現れ始めるのは、「土着国家」、つまりその国の最初の形がどのように形成されたか、からだろう。

 

今回はそこからレポートしていく。

 

まず、紹介文に記載されているのは以下の通り。

 

簡単に訳すと、

2世紀にはマレー王国の存在が確認されており、現在のマレーシア・インドネシアに相当する群島とベトナムの一部でその痕跡が残っている。

整備された行政のシステムを持ち、インド・中国という大国から承認を得た正統な国家であった。

15世紀にその最盛期を迎えたマラヤ(当時のマレーシアの名前)は現代のマレーシアの国家基盤となっている。

 

という感じ。

 

2世紀というと約2000年前だからかなり古い歴史を持つことになる。

 

ちなみに、東南アジア、というと、なんとなくどの国も同じようなイメージを持ってしまいがちなのだが、実際は文化も人種も多様だし、そもそも言語が根本的に違う。

 

例えばヨーロッパは、それぞれの言語が兄弟関係にあり異言語でも推測可能だが、東南アジアはそうではない。

 

その中で例外的に兄弟関係にあるのが、マレーシア(マレー語)とインドネシア(インドネシア語)。

「国」というものの概念が「明確な国境線」を伴う現代とは違い、広くいえば「同じ国」だったとも言えるからである。

 

こういう、東南アジアの成り立ちについてざっくり理解したいという方はこの本がおすすめだ。

 

さて、博物館に話を戻そう。

 

マレーシアの特徴の一つに、「イスラム教」がある。

そもそも、なぜサウジアラビア(イスラム発祥の地)から遠く離れたこの地がイスラム教なのか

 

それは、古くからアラブ人が海を渡り貿易していたから。

現代のインド、ミャンマー、マレーシアを経て中国まで、遠路を命がけで商売しに来ていたのだ。

 

アラブ人の商魂のすごさはこの時代にはもう確立されていたのかもしれない。

 

その時代の貿易品の一つがこちら。

技術力がものすごく高い。今でも美術品として売れそう。デザイン的に、中国のものだろうか。

 

マレー半島に存在したいくつかの王国について。

 

訳すと、

2世紀には「ランカスカ」という国があり、6世紀頃に最盛を迎えた。

その頃からすでにインド・中国・中東と貿易をしていたようである。

5世紀から14世紀まで「カタハ」という国があり、貿易船の存在が確認されている。

他にもいくつかの「国」があった形跡がある。

 

ということで、日本の土着国家時代と同じく、「統一国家」はまだ無く、いくつかの「国」が存在していた

 

ちなみに、その当時の貿易船の再現模型がこちら。

ちょっと北欧のバイキングっぽい。

 

現在のマレーシアの基盤となった国、「マラッカ王国」の誕生。

 

簡単に訳すと、

1400-1511年に「マラッカ」という王国があった。

それ以前の他の国家との決定的な違いは、「イスラム教」でこれを基盤に発展と拡大を繰り返し、マレー地域(おおまかに言って今の東南アジア全体)の貿易の中心となるまでに成長した。

マラッカ王国の創始者であるパラメスワラは、パレンバン(インドネシア、スマトラ島の州都)とタマシク(現在のシンガポール)の王様と親戚関係にあり、現在の州知事にあたる役に就いていた。

この政治経験が王国の成長に貢献したと言われる。

王国は地理的にも東西に貿易可能な絶好の地にあり、国際的な中継地として戦略的に成長させた。

 

封建国家でお決まりの世襲制ではあるのだが、マラッカ王国のパラメスワラ王はちょっと違った。

 

ただのんびり自分の番まで王座を待つのではなく、地方行政で経験値を積んだ状態で王様になった

(うーん、二世議員が多い日本の政治家に聞かせたい。)

 

行政システムもかなり整備されており、王様の下に5人の役人 (今でいう、首相、経済大臣、防衛大臣、提督(将軍)、海運大臣)とその下のエリート集団が中心で構成されていた。

 

こちらは誰のものかはわからないが、確実に権力のある人の持ちものであったものだろう。

「クリス」という名の短剣だ。

 

マラッカは「黄金の地」という異名があったそうだ。

 

世界各地と貿易をしており、その中には琉球(沖縄)も含まれていた。

 

84の言語が飛び交い、港には2000もの船が停泊していたとか。

 

そのマラッカ王国の王様の寝室。

いかにもお金持ち!って感じ。

 

中国からの移民(出稼ぎ労働者)も多く、ペラナカンと呼ばれた。

ちなみにペラナカンは総称。 男性は「ババ」、女性は「ニョニャ」という呼称。

 

現在のマレーシア・シンガポールにも見た目は中華系の人が多数いるが、そのルーツはここにある。

中国南部の福建省・広東省・海南島付近は伝統的に貧しい人が多く、マレーシアの中華系移民もその出身者が多い。

(もちろん、わりと最近移住した人もいる。)

 

マラッカは14-16世紀に最盛期を迎える

 

この頃、ヨーロッパでは大航海時代が始まり、マラッカ王国にピンチが訪れる

近隣諸国とは全く次元が別の敵との勝負が始まるのだった。

 

ここまでがざっくり、土着国家時代ということになる。

続きは記事をわけて書きたいと思う。

 

つづく

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